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ひいなの芽生え

もしも旅館経営者が地域への愛をより多くそそげば、旅館業はもっと良くなると、私は信じている。 「伊豆にある。」そこを追及するのが私の旅館経営という旅の始まりでした 代表取締役 加藤 健太郎

成長・拡大→失敗

1954年の高度経済成長から1990年代初期のバブル景気のピークまで伊豆の旅館は積極的に設備投資を行う。しかしそこには大きな落とし穴があった・・・

めまぐるしいスピードで個人の生活は豊かになり、企業の資金調達が容易になった。そして時代背景もあり大胆な設備投資をする旅館が増えた。

伊豆では民宿や、小さな旅館も銀行から多額の借り入れをして設備投資を行い、100部屋近い巨大旅館に変わる所もあった。好景気に沸いたその時代、巨大旅館に変わるとお客様は驚くほど多く入った。

失敗・・・

時を同じくして
「部屋ない!」
連日満室が続き6部屋だけの民宿だった当時の片瀬館(現片瀬館ひいな)も、毎日予約の電話が鳴り、お客様に満室とお断りをしていた。もっと部屋数があれば予約を多く取る事が出来る、そんな日が数か月続いた。そしてこの経済状況なら銀行から借り入れをしても十分返済できると考えることになる。

「今しかない、やった方がいい」と巨大旅館が満室続きの状況を見ているので、当時の社長は親戚や金融機関からも設備投資を強く勧められたようだ。
そして1962年片瀬館も時代の波に乗り、建物をより大きくし5階建ての鉄筋を新築する。

しかし待っていたのはバブル崩壊だった・・・

バブル崩壊 旅館は多くの負債を抱えた ITバブルの崩壊。そして・・・

バブル崩壊により団体旅行はなくなり、個人旅行も大幅に減り、そして旅館は多くの負債を抱えた。旅館は次々に倒産し、なんとか生き延びる事ができる旅館は資金繰りに四苦八苦し、お客様よりもお金を追う事に必死になる。

1999年から2000年にはITバブルも崩壊した。
温泉旅行に数人で行って総支払額100円万を『安かった』と某IT企業社長はテレビで言っていた。しかしそんな一部の時代に乗った勝ち組と言われた人達もITバブルの崩壊により終焉を迎える事になる。

孤独

そして私は大学を卒業し旅館に戻る。

旅館業について何も知らない、さらに不器用な私はお客様の話を聞くことしか出来なかった。だからとにかく聞いた。

「伊豆について」という漠然とした質問をお客様に問いかけた。私は毎日一人一人全てのお客様にとにかく直接聞いてまわった。
チェックイン、チェックアウトの時はもちろん、暇さえあればどこでもお客様の話を聞いてまわった。
「うるさい!質問ばかりするな。お前と話をしに来たんじゃない!風呂にゆっくり入らせろ!」と5階の大浴場でお叱りをうける事もあったし、伊豆への思いを丁寧に話してくださる方もいた、当時の私は相当しつこかったと思う。

しかし私の事を子供の頃から知っている長く私の旅館で働く仲居さんからも当時は白い目で見られていた。
『またお客様と話ばかりしている、そんな時間あるなら料理の一つでも運べばいーのに。』
と通りがかりに聞こえてきてしまった事もある。

耳をふさぎたかったが、愚直に自分に出来るお客様にヒアリングをとことんやり続けた。

お客様との会話でヒアリングをしてニーズとウォンツを把握し、計画を作成し、それを実行した。今までとは違う事に挑戦した為、誰も分かってくれない孤独な日々が続いた。しかしそれには負けず愚直にやり続けた。

光がさす

気が付けば多くのお客様にお越しいただき、業績も右肩上がりにどんどん上がった。前年同月比で最低153%、多い月で207%まで急激に伸びた。

今思えば旅館に帰ってきた当時のお客様一人一人にお話を伺うのは、マーケティングのリサーチ、セグメンテーションを表面的な部分を行い、その後のターゲッティングとポジショニングに繋げていたのだ。

しかしある日・・・

「潰れるぞ」

「お前の旅館潰れるぞ、何もわかっていない」と、ある先輩旅館経営者にある日の会議の席で叱責された。それは「シンプルに伊豆という地域性を追求する」という私の考えでは旅館は経営出来ないという事だった。

「旅館は大きな鉄筋の建物で流行の設計士に建ててもらう物だ」という意見だった、言い換えるのであれば綺麗なビルが良いという事だと思う。

先輩経営者の意見は私の意見とは相反する物だった。
“伊豆を表現する”これが私の旅館の信念。

眠れない日々

眠れない夜もあった。私の考えは間違っているのだろうか、先輩旅館経営者の「お前の旅館潰れるぞ。」が頭の中をグルグルと常にまわり本当に不安だった。

“伊豆を表現する”これが私の旅館の信念。しかし間違っているのかもしれない・・・
伊豆を表現する必要もない。伊豆である必要もない。
地域の為にもなっていないではないだろうか。


そして先輩経営者の「旅館は大きな鉄筋の建物で流行の設計士に建ててもらう物だ」という意見が正しいのかもしれないと思い始めいた。それを証明するようにその時は旅館を繁盛させるという人気設計士が目覚ましい活躍をしテレビに出演などもしていた。
しかし・・・

信念

悩み続けていた、ある日の朝。

『伊豆らしい旅館になったね、伊豆を楽しめたよ、また来る。』

とS様という年に5回くらい過去13回以上お越しになられているお客様がお帰りの際の一言で挫折しないで信念を貫いて良かったと思った。

お客様に具体的にどの部分で“伊豆らしさ”を表現しているかの説明はしていなかったので、それを説明しないでお客様感じ取って頂けた。

私の考えは正しかったのだ、


「旅館は大きな鉄筋の建物で流行の設計士に建ててもらう物だ」という先輩旅館経営者の意見に対して私はそのような旅館は伊豆でなくても、他の地域でも良いと思うのだ。


私はこれからもシンプルに伊豆という地域性を追求する旅館を築こうと思う。常識の枠を超えるには旅館経営者としての高く熱い志がエネルギーの根源だ。

豊富な海の幸、緑豊かな山々、青く澄んだ海、光り輝く満天の星、ムーンロードを描く月、そんな素晴らしい伊豆の宝をこれからもシンプルに追及する旅館を築く。

覚悟

「旅館は設備投資をすればお客さんは来る」と人は言う。しかし、私は巨額の投資をしてもその奥に目には見えない何かを感じなければお客様は来ないと信じている。

目には見えない何かとは・・・

「伊豆という地域への愛。」

私はここに気が付いた。この地から旅館を移動することはできない、この地に生かされているのだ。
そのような気持ちで今もこれからも一生懸命取り組む覚悟です。

長いお手紙にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

私たちの伊豆に対する熱意、考えに少しでもご賛同頂けた方は是非 ひいな へお越しくださいませ。

片瀬館ひいな 3代目 加藤 健太郎